2026年6月12日に発売されたオーディオテクニカのMCカートリッジ『AT-MCD1』。2022年に限定販売された『AT-MC2022』の後継機として、開発チームはさらなる音質向上を目指してダイヤモンドカンチレバーの軽量化や、新形状シバタ針の採用に挑んだ。しかし、その実現への道のりは決して平坦ではなかった。AT-MCD1誕生の裏側には、どのような挑戦があったのだろうか。

高域特性を改善するために。開発チームが選んだアプローチ

4年前の11月に発売されたオーディオテクニカの創業60周年記念カートリッジAT-MC2022は世界限定60個のモデルとして販売され、発売後に即完売。スタイラス一体成型のダイヤモンドカンチレバーというそのスペシャリティのみならず、繊細さと力強さを兼ね備えたサウンドも大歓迎された。

しかし、AT-MC2022の開発チームで陣頭指揮を執ったオーディオテクニカ商品開発部 ホームリスニング開発課マネージャーの小泉洋介は、そうした事象を冷静な眼で見ていた。

「限定数量のアニバーサリーモデルというのは当初から決まっていましたが、私たちの想定以上に早く予定数に達してしまったんですね。その後も欲しかったという声をたくさん頂く中で、また同じものを出すのはいかがなものかということもあり、AT-MC2022からさらに進化したレギュラーモデルを新たに作ろうという機運になりました」

新規開発に当たって真っ先に取り組むことになったのが、ダイヤモンドカンチレバーの軽量化だ。その理由として、小泉はAT-MC2022の高域にしなやかさが足りない事に引っかかりを覚えていたためである。ただし、闇雲に軽くしても強度が落ちる懸念がある。そこをどう折り合いをつけるかだ。

「(カンチレバーの素材として)ダイヤモンドは地球上の鉱物で振動伝播速度が最も速いものです。しかし、カンチレバーとして使われることが多いボロンやアルミに比べて、密度が高く、比重(同じ体積あたりの質量)が重いんですね。それが高域の共振の鋭さ、ひいては高域の表現力につながっていると考えました」

具体的には、カンチレバーとスタイラス先端の曲げ部分を急峻にカットすることで軽量化が実現できた。

画像は5倍のスケールで再現された模型

高域の振る舞いをコントロールするには、もうひとつ大事な要素があると小泉は説明する。それがスタイラス形状だ。

「振動系の軽量化によって高域のクセっぽさはだいぶ改善できましたが、スタイラス形状の変更で高域特性をもっと広げることができるはずと目星をつけたのです。そこでベンダー(部品の納入業者)に、AT-MC2022で採用したマイクロリニアからシバタ針ができないかと相談しました」

対するベンダー側の返答は、「不可能」という見解だった。

一般にスタイラスのカッティングは、背中合わせの形状が対称、シンメトリーである。つまり左右前後のカッティング形状が同一だ。しかしシバタ針の場合、前後の曲率がアシンメトリーで、対称にはなっていない。

後からスタイラスチップを接合するタイプであれば、ダイヤモンドでも他の素材のカンチレバーでも、選択肢は幅広い。しかし一体成型の場合、スタイラスの左右を対称にできても、後ろ側(裏側)はカンチレバーの曲げ部に当たるため、特殊な形状で研磨するのが極めて難しいのである。

一般的な無垢シバタ針の先端

しかし、ある日ベンダーから連絡があり、ひとつのサンプルが届けられた。それこそが、開発チームが渇望していたシバタ針一体成型のダイヤモンドカンチレバーだったのだ。

ここで開発チームが採用を目指した「シバタ針」について解説をしておかねばならないだろう。

シバタ針は、元々の出自を1970年代に登場した「4チャンネルステレオ」まで遡る。ディスクリート方式でサラウンド再生を実現すべく、高域特性の伸張と位相管理を課題として開発されたのがシバタ針だ。

4チャンネルステレオ方式は現在運用されていないが、シバタ針はその音の特質から近年採用されるケースが増えつつある。オーディオテクニカでいえば、『AT-ART9XA』や『AT-OC9XSH』等がそうだと小泉が教えてくれた。

「弊社では、ローエンドの腰の強さというか、表現力と安定感を買ってこれまでシバタ針を使ってきましたが、MCD1では、開発当初の性能を活かすべく検討していたわけです。しかも従来よりもさらに先端部の曲率半径の小さなものを使うことで、高域特性をさらに拡大しようと考えたのです」

開発チームの中心となって牽引した溝口舞子は、既に他の機種で採用していたものと同一のシバタ針一体成型ダイヤモンドカンチレバーを当初イメージしていたという。

「そもそもの企画当初から、シバタ針による一体成型ダイヤモンドカンチレバーをやりたいという話でスタートしていましたが、初めの頃はベンダーに断られていたので、カンチレバーの軽量化が果たせたマイクロリニア針で並行して開発が進められていました。この軽量化だけでもかなり音質改善を果たしていたんですが、後に届けられたシバタ針の試作カンチレバーを初めて聴いた時、これはかなりいけそうだという確かな手応えがありました。すぐに小泉にチャットをしたことをよく覚えています。しかも従来のシバタよりも曲率半径のさらに小さいものにトライしてくださったので、とても驚いたんです」

ベンダー側の技術者もこだわりの強い人らしく、打ち合わせを重ねていく中で決して安請け合いはしなかったという。しかし密かに研究を重ね、あるタイミングでできそうだと回答してきたのだとか。

軽量化だけでは新製品のインパクトとして弱い。そこに開発陣の熱意を汲んでくれたベンダー側の気概が加わって初めてAT-MCD1の最大の特長が固まったのである。

軽量化によって高域の硬さやきつさが取れ、曲率半径の小さな新しいシバタ針がさらに組み合わさることで、高域の伸びやかさと情報量、奥行きの深さが加わり、狙っていた音質改善につながったと溝口は振り返る。一方で小泉は、通常のシバタ針の一体型ダイヤモンドカンチレバーを作って最終確認に臨み、高域の自然さや立体感が大きく違った新形状のシバタ針の可能性を確信した。

AT-MCD1のその他の仕様に関しては、AT-MC2022とほぼ共通だ。PCOCCコイル、アルミニウムベース/チタン削り出しハウジング/エラストマー製アンダーカバー等々。もちろんこれらの仕様も改めて検討されはしたが、一体型ダイヤモンドカンチレバーに最もバランスよい組み合わせが、AT-MC2022の時点ですでに完成されていたといえるかもしれない。

ただしボディカラーは新しくなった。精悍な印象を与える光沢のあるチタンブラックだ。また、専用のケースは天然無垢のチェリー材でできており、ヘッドシェルに装着した状態での収納が可能。リアプレートには、シリアルナンバーが刻印される。

苦労して開発を終えた今、溝口は何を思うのだろう。

「ハイエンドカートリッジの中には、高解像度で情報量が多い一方で、分析的な一面も時折感じられたりします。しかしAT-MCD1は情感がしっかりと伝わってくると思いますし、唯一無二の存在という自負はあります」

一方で、AT-MCD1のようなカートリッジをチームで作り上げることができる地盤、とりわけオーディオテクニカならではの開発体制の強みを小泉はこのように語った。

「まったく違うバックグラウンドを持つエンジニア数名でひとつのカートリッジ開発に取り組むのに、皆で意見を出し合って視点の違いをまとめていく。そこには難しい部分もありますが、楽しんでやってこれています」

——最後に、本インタビューを担当したオーディオ評論家の小原由夫氏による、今回の取材を終えてのコメントをお届けする。

60余年の歩みの中では、アナログの需要が落ち込み、デジタルが主流になった時期もあった。それでもアナログの灯を消さずに地道にカートリッジの開発を続け、テクノロジーやノウハウを伝承してきた強みと英知が、このAT-MCD1に注がれているのは間違いない。溝口氏のような若いエンジニアが増えていることも、私のような古くからアナログを実践する人間にはとても頼もしく思えるのである。

今日、ハイエンドMCカートリッジのトレンドがダイヤモンドカンチレバーであることは誰もが認めるところだ。しかし「スタイラス一体成型」となると機種は絞られる。すなわち、それが生産性やコスト面からも特別なものであることは容易に理解できる。

針先の接合部分がない一体成型ダイヤモンドカンチレバーは、音溝から拾った微細な情報をロスなく磁気回路に届けるという点では理想的だが、小泉氏はその未来像をこのように思い描いていた。

「AT-MCD1はダイヤモンドという材料とその加工の難易度から大変高額な製品ですが、オーディオテクニカとしては今後もアナログ再生の新境地を開くようなチャレンジングな製品の開発もしていきたいと思いますし、他方、アナログオーディオの入門者に使ってもらえるような製品からミドルクラスの価格帯まで、ユーザーのアナログレコードライフを全力でサポートしていきたいと思います」

AT-MCD1

AT-MCD1

デュアルムービングコイル(MC)ステレオカートリッジ

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Words:Yoshio Obara
Photos:Soichi Ishida
Edit:May Mochizuki

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